top of page

「白血病」との闘いに勝利した娘は、「自分医学」の模範生

  • rproton
  • 5月31日
  • 読了時間: 5分

奈良県天理市 小和田慶子さま(38歳)



幼稚園の入園を目前にして突然発病


まりちゃんは現在、小学1年生。中1のお兄さんと小5のお姉さんの3人きょうだいの末っ子である。体格もよく、快活で元気いっぱいのまりちゃん。

彼女を見て、「2年半もの問、病気と闘ってきたお子さん」と言われても誰が信じられるだろうか。

平成6年、4歳3カ月の頃であった。待ちに待った幼稚園の入園を控えたある日、突然具合が悪くなって病院へ。医師に告げられた病名は「急性リンパ性白血病」だった。

県立病院に入院し、抗ガン剤の投与を数回にわたって受けた。初回は副作用もきつく、柔らかいまりちゃんの髪の毛は、無惨にも全部抜けてしまった。

「お帽子かぶる?」

それとなくお母さんが聞いても、「すぐはえてくるってお医者さんが言ってたから、いらない」そう言って屈託のない笑顔を見せる。お母さんは発病の日から、心配のあまり慌伴しきっていた。

「お母さんが元気出してくれなくて、どうするの?」

4歳のまりちゃんが、逆にお母さんを気づかった。

「私はくよくよしてばかり。でも、あの子は早く治りたい一心で、『これをやれば良くなるのね』と、注射や点滴も嫌がりませんでした。処置室にも私が付き添って行ったのは初めの頃だけ。あとは一人で入って行きました」

そればかりではない。ベッドに横たわるお友達を「がんばって」と励まして回ったのである。八カ月の入院で「完全寛解」となり、ひとまず退院。以降は再発防止の抗ガン剤を打つため、入退院を繰り返すことになる。



完全寛解中に血小板の数値が大幅に減ったまま動かない


ところが退院から1年半後の平成8年春のこと、「完全寛解」状態だというのに、まりちゃんの血小板は7000をキープしたまま動かなくなった。「プロトンウォーター」と出会ったのは、そんなときで、両親は、ワラにもすがる思いで生成器を取り付けたいと、販売店に相談した。どれほどの効果があるのか、複雑な思いで説明を受ける両親に対し、まりちゃんはグラスの水をゴクゴクと飲みほした。

「お母ちゃん、これ魔法のお水だよ。まり、もうお薬飲みたくないよ」

「薬は飲まなきゃダメ」

「お薬のかわりにお水頑張って飲むから」

まりちゃんとお母さんのやりとりはしばらく続いた。


しかし、いつもは素直なまりちゃんが、ここまで主張するのだから賭けてみよう。その場で生成器を取り付け、その日からまりちゃんと家族の新たな挑戦が始まった。お母さんはまりちゃんに「プロトンウォーター」を飲ませ続け、まりちゃんも約束通り積極的に飲んだ。

そうしているうちに、あれほど動かなかった血小板の数値が自に見えて上がってきた。

驚いたお母さんは、不安もあったが思い切って薬をやめた。もちろん主治医に内緒である。そして「プロトンウォーター」「チトナーゼ」「野菜スープ」を中心に、様子を見ることにした。

奇跡は起きた! 2〜3カ月も経つと、血小板の数値はすっかり平常値に戻ったのである。

そして無事に退院。

小学校へも行けるようになった。幼稚園に行けなかったので、

いじめを心配していたお母さん。だが、それも取り越し苦労であることがすぐにわかった。

「いじめられたら、先生に言いつけるもん」

と、まりちゃんは涼しい顔。事実、お友達もたくさんできて学校が楽しくてしかたがない。



この子と死のうと思ったこともあった

一日も休まず登校するまりちゃんの後姿を見送りながら、お母さんはつくづく思った。

「この子と死のうと思ったことも何度かあったけど、今このように元気になった姿を見て、生きていて本当に良かった。いろんな人のおかげで今のこの子がある。それは感謝してもしきれないほどだ。でも誰よりもがんばったのは、この子自身だった」

もうダメかもしれないと医者に言われたときは、この子といっしょに死のうと思ったことさえあったお母さん。でも、あきらめなかった。両親は必死で、まりちゃんの病気と向き合った。

一方、お兄さんとお姉さんも闘病中のまりちゃんを病人扱いせず、ごく普通にけんかもし、ふざけ合ったりもした。

「そんな様子を見ていてハラハラさせられることもありました。でも、今から思うとか

えってそれが良かったのです」

お母さんは最後にこう結んだ。

「同じ病気の子供を持つお父様、お母様。治療中はとても辛くて大変だと思います。でも治療が終れば普通の子供と同じですから、最後まであきらめないでください。きっと元気になります。治ったときのことを考えて、がんばってください。明るい光がすぐ目の前にあるのですから…」



孫のためにと無農薬の野菜作りに励むおばあちゃん


ご家族の愛に触れたついでに、ここでご紹介しておきたい人がもう一人いる。

それは73歳になるおばあちゃんである。おばあちゃんもまた孫の病気に誰にも負けないく

い心を痛めていた。

野菜スープがいいと聞くと、その日から、わずかばかりの空地を耕し、無農薬の大根や人参を作り始めた。

販売員が久しぶりにご自宅を訪ねたとき、真っ先に見せてくれたのが台所のテーブルの上に山と積まれた「おばあちゃんの野菜」であったという。かわいい孫への思いを込めて、かじかんだ手をさすり、腰を伸ばしながら作った無農薬の野菜。

自然の宮みも人間関係もすべてはバランス。まりちゃんの回復は、両親、きょうだい、おばあちゃんといった家族の愛に支えられ、まりちゃん自身が持つ治癒力が十分に発動した結果と言えるだろう。


余談かもしれないが、まりちゃんの目ざましい回復は、同室の男の子のお父さんの目を捕らえた。中一のその少年もまりちゃんと同じ病気だった。

「あんなにお元気なのは、何かわけでも?」

そう聞かれて、まりちゃんのお母さんは「プロトンウォーター」の話をした。

すると、

そのお父さんは「うちにもぜひ」と言って、すぐさま息子のために「プロトンウォーター」生成器を自宅に設置し、次の日から毎日病院に運んだ。

その後、少年は骨髄移植を無事受けることができ、完全寛解となった。今は元気に学

校生活を楽しんでいるという。

(本稿は、体験者にインタビューした後、編集部で再構成したものです)


「だから私はあきらめない!」折田武一(医学博士) 著より抜粋引用



Comments


bottom of page