常に「リウマチ」に悩まされていた私。今は健康だった頃によみがえった
- rproton
- 5月31日
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石川県金沢市 田口美穂子さま(43歳)
「慢性関節リウマチ」と宣告されて…
「四六時中ズキズキ、シクシク。痛みはやむことがありませんでした。これに日常の動作や仕事のあとの運動痛も加わって、その辛さは言葉には表せないほどでした。
発病から2〜3年くらいの聞は、髪の手入れができない、ペンを持てない、水道の蛇口がひねれない、床に足をつけられない、ボタンがかけられないなど、日常生活に支障が出てき
て、ついにリウマチに”全面降伏“。気持ちも滅入る毎日が続きました」
田口さんはきゃしゃな白い手をさすりながら、もっとも辛かった頃の様子をこう話してくれた。

彼女が最初に体の異変を感じたのは、平成2年の冬のことだった。外出の際、それまで経験したこともないような足のだるさと冷えを覚えた。特に膝から足首にかけての冷えは「まるで氷水につかっているような感じ」だったという。また同じ頃から微熱が続き、疲労感も出てきた。
こんな状態が2〜3年続いたが、それほど気にもかけなかった。ところが木の芽の出る春4月、左手首が妙に動かしにくくなった。しかしそのときも、そのうち治るだろうと大して気にもとめなかった。
「そうしているうちに、ますます様子がおかしくなったのです。朝、手がこわばるようになり、腫れもあり、熱も続くようになって。体が、だるくて、だるくて、言いようのない疲労感でいっぱいになりました」
さすがに不安になった田口さんは、町の医院を訪れた。検査の結果、リウマチの陽性反応が出た。
「陽性だからといってリウマチとは限りません。あまり心配しないほうが良いですよ」医者にはそう言われたが、やはり内心おだやかではなかった。
しばらくは忘れるように努めていたが、朝の手のこわばりが続くので、翌月、病院の整形外科を訪ねた。
「慢性関節リウマチです」
医師は重苦しい表情で、こう告げた。リウマチといえば難病だ。いきなりそう言われても…。田口さんは困惑するばかりで、すぐには受け止められなかった。
リウマチの辛さについては、たまたまそれで悩んでいる友人が身近にいて、よく知っていた。しかし、まさかこの自分の身に起ころうなどとは考えてもみなかったことである。
そうこうするうちに関節と体中の痛みは、左右対称に、指、手首、ひじ、ひざ、足首、足の裏、体の小関節、大関節へと広がっていった。同時にそれ以降、抗リウマチ剤と鎮痛剤の服用を欠かせなくなった。一方では、民間療法も積極的に取り入れてきた。
しかし、そう簡単には治らなかった。
8年ぶりに初めてぐっすり眠ることができた
その後は再燃と寛解を繰り返していた。そんなとき、ある人の紹介で「プロトンウォーター」の勉強会に出席する機会を得た。平成10年2月のことである。そこで「プロトンウォーター」に関する多くの情報を得、「とにかく試してみよう」とさっそく飲み始めることにした。
毎日「プロトンウォーター」を2リットル。野菜スープを1リットル。それに「チトナーゼ」を基本に、日々これらを飲用することを”仕事“にしたのである。そして、これを機会に薬は思い切って一切中止した。析るような気持ちで開始してから数カ月。田口さんは、ふっと今までの自分と違うことに気づくようになった。

「驚きました。長年、体のどこかに痛みが存在するのが普通だと思っていましたのに、かつて健康であった頃の自分を取り戻せたような、痛みが人ごとのように思える時聞が増えてきたのです。ひょっとすると、私のリウマチは治るかもしれない。そんな自信が持てるようになりました」
そう言う田口さんの目は、きらきら輝いていた。
「私自身が自ら作ってしまったリウマチです。だから私自身で治すしかない。そう心に
刻んで、今は生・老・病・死を素直に受け入れながら、自分医学を実践していく覚悟でいます。「プロトンウォーター」の情報をくださった方々を始め、それを理解し協力してくれた家族、アフターケアを懸命にしてくださった方々に深く感謝しています」
(本稿は、体験者にインタビューした後、編集部で再構成したものです)
「だから私はあきらめない!」折田武一(医学博士) 著より抜粋引用
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