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妻のひと言で立ち直り、難病「ベーチエツト病」を克服

  • rproton
  • 5 日前
  • 読了時間: 4分

福岡県久留米市 執行直樹さま(34歳)



「ベーチエツト病」と診断され、苛立って家族に当ったことも…


私は福岡県久留米市で保育園を経営しております。保育園は、私が「ベーチェット病」で入院したことがきっかけで始めるようになりました。

昭和59年7月から大学病院に入院。そこで「ベーチェット病」であると診断され、大腸を15センチ、小腸を85センチ切除する大手術を受けて、約6カ月の闘病生活ののち退院しました。

入院の数年前から、足がむくみ、微熱が出て体がだるく、口内炎が出るようになりました。春先と秋口にこの症状は特にひどく、最悪のときは歩行困難にまで陥り、年2回ほどは寝込んでいました。


治療としてはプレドニン(副腎皮質ホルモン)を飲むしかありませんでした。薬を飲めば熱が下がり、むくみもとれて体は楽になります。初めは5ミリグラム飲めば治まりますが、その次は10ミリグラム、15ミリグラム、30ミリグラムと薬の量が増えてくるのです。

体は楽になるのですが、顔がむくんできたりして副作用も心配でした。

「いつ目が見えなくなるのだろう」

「もし脳の血管が詰まったら…」

「車の運転中に症状が出たら…」

退院してからも、いろいろ考えると不安でどうしょうもなく、家族に当ることもありました。




妻のひと言で立ち直り、前向きに生き始める


「まだひどくもなっていないのに、何を心配してるの。目が見えなくなったときはその時。くよくよしなさんな。命があるだけもうけもんやね」

そんなとき、妻のこのひと言で立ち直ることができました。当時、妻もO歳、2歳、4歳の三人の子供をかかえ、私以上にこれから先のことを不安に思っていたはずです。

「いつまでもくよくよしていてもしょうがない」私は気持ちを切りかえることにしました。


目が見えなくなったときを想定しての歩行訓練など、前向きな考え方で生活しているうちに、病気に対する不安はどこかへ飛んでいってしまいました。そして「もうけもんの命」なのだから、何か人の役に立つことで社会にお返しをしなくては、と考えるようになりました。自分の家ででき、規則正しい食事がとれ、自分自身にも社会にも役立つような仕事はないかと考えているうちに、保育園経営を思いつきました。

どうせ保育園を経営するなら、食べるものもできるだけ自然のものを使ってやろうと、自分たちで作った野菜や麦を中心にした給食とおやつを子供たちに食べさせることにしました。おかげで私自身の体力もずいぶんついてきました。体調のほうは、民間療法なども取り入れ、寝込む日は少なくなっていたのですが、まだ春先や秋口になると具合が悪くなっていました。




保育園の水は「まほうの水」だ


そんなとき、園児の父親のKさんから「プロトンウォーター」の話を聞きました。腸の手術を受けていた私は、「プロトンウォーター」を飲むことによって、まず消化器系を整えることが大切だと考え、さっそく生成器を取り付けることにしました。


おかげで年中下痢が続いていたのが良くなり、一年を通じて寝込むこともなく、園児と楽しい毎日を過ごしています。そして、何よりもうれしいのは難病の「ベーチェット病」であるということで行政よりいただいていた、無料で診察を受けるための「特定疾患医療受給者証」を返上できたことです。

なお、保育園に取り付ける際、販売員の方から父兄に対して「プロトンウォーター」の説明をしていただきました。自然食品に関心のある方ばかりだったので、十分納得していただくことができました。


子供たちは「プロトンウォーター」を「まほうの水だ」と言って、たくさん飲むようになりました。いつの間にか、以前は気になって仕方がなかったトイレの臭いが、戸が開いていても気にならなくなりました。

今では「プロトンウォーター(酸化水)」をプールに入れるなどして大いに活用しています。

またアトピーのひどい子には、自宅にも生成器を取り付けてもらい、家庭でも保育園でも「プロトンウォーター」を飲めるようにしてもらっています。



最後になりましたが、「ベーチエツト病」という難病を克服した私自身と理解ある家族、そして「プロトンウォーター」を教えてくれたKさんとの出会いに感謝申しあげます。


「だから私はあきらめない!」折田武一(医学博士) 著より抜粋引用



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